iPad + COMBO TOUCHを持ち歩かない通退勤

iPad

1週間試しにやってみた事を元に戻してまたやらなくなっただけの話ではあるが、一度状況を物理的に変えたことで考え直すきっかけにはなった。バランスや優先順位というものがあるのは本当に広い範囲に通ずる話。

タブレットはノートPC代わりではないという話はYouTubeとかでもたくさん見付けられる話なので、それを分かったうえでiPadにキーボードを着けてみた私が感じた事をまとめてみる。

日常持ち歩く組み合わせではない

これは強く思った。荷物は少なく済むなら少ないに越したことはない。荷物が少ないのも大事だが、軽いことも大事。軽いとそれだけで荷物が減ったかのような錯覚すら生まれる。

荷物含めた鞄の重さが1kg変わるのも大きな差。荷物をどこかに置けないと常にそれを感じ続けることになる。

身軽になったかのような錯覚

荷物を減らしたというより、持ち物を元に戻しただけ。基準点をiPadとCOMBO TOUCHの持ち歩き開始前にすれば結局プラスマイナスゼロなのだが、感覚的な比較対象は持ち歩き開始後。

元に戻した最初の1日だけは軽くなったと感じたが、翌日には感覚も元に戻り、別に重いとも軽いとも感じない、いつもの慣れた重さとしか感じなくなった。

今の苦労を我慢すれば後が楽、みたいなのはここでは該当しない話のようだ。

荷物軽量化を考えるきっかけになった

荷物が無駄に重い日々を過ごしてみたことで、軽いことの価値というものを考え直すようになった。

旅行とかのたまの遠出や宿泊なら荷物が増えて重くなるが、それは一時のもの。通勤通学の荷物は日常のものなので一時的ではないし、重さが違うことによる負担の違いが積み重なる。

自分の通勤用リュックの中を改めて見てみて、折り畳み傘をより軽いものにしようと思った。使う日はどうせその分荷物になるのだから、雨が振らない日は持たない、では先送り。

作業効率は犠牲になる

私がiPad+COMBO TOUCHを通勤に持って行っていた目的は、せめて時間を活用するために執筆を効率化すること。スマホのフリック入力よりも物理キーボードの方が明らかに速い。テキスト入力のための労力も時間も少なく済むし、それが積み重なる。

効率を優先すれば身体への負担が増える。身体への負担を減らすことを優先すれば効率が犠牲になる。でも会社脱出の足掛かりとしてブログ執筆くらいはする。どう転んでも何かが代償になる。

身体が無駄に疲れては作業効率以前に何かする意欲まで削がれるので、私は荷物軽量化を優先した。作業自体はそれでも可能ではある。

必要範囲が狭くなる

iPadを鞄から出し入れしたりノートPCのように開閉したり、という動きをするには場所を取るし、キーボード入力時はフリック入力時よりも横幅を取りやすくなってしまう。

そういうところでも心身への負担がかかっている。1週間やっても結局それを感じながら作業していたので、やはりこういうデメリットは見過ごせない。

スマホならズボンやブレザーのポケットに出し入れするくらいで、しかも開閉の手間が生じないことの楽さも感じられた。

作業効率が犠牲になるとはいえ、作業のための犠牲が小さく済む。私の感覚では後者のメリットの方が大きい。外出先で作業可能な時常に作業中とは限らない。

スマホに求めるもの

iPadで外でもする事としてブログ執筆の他に読書や動画鑑賞もしていたが、そのために使うものがスマホに置き換わる。そうなると、ある程度以上の画面サイズが欲しい。

特に読書だと、画面が小さいと表示サイズと表示範囲の両立が難しい。あちらを立てればこちらが立たない。ページめくりが頻繁過ぎると、紙の本でも読む以外の事が増えてしまう。

iPad Air 4は画面サイズ10.9インチなので、小さい画面に戻る違和感というのもある。なのでそれらのバランスを取りつつ同じ事をするためには、スマホの画面サイズはある程度以上欲しいと思えた。個人的には6インチ代前半くらいが最適バランスではないかと、6.7インチのPixel 7 Proを使っていて感じる。

軽いなら持ち歩きはアリかも

私がiPad + COMBO TOUCH の持ち歩きを断念した一番の理由は、重いから。それ以外の理由は、外出先での作業効率が知れていることを考えれば枝葉みたいなもの。作業効率の最大値という観点ではスマホより上。

重さが気になるのは鞄を持ち上げたり持ち運んだりしている時で、作業中は別に気にならない。つまり問題は作業というより作業以外の時間の中にある。その何が問題かというと、外出先、しかも会社員ともなるとどう足掻いてもブログ執筆以外の時間の方が圧倒的に長いこと。使える時間は電車内くらいで、座れる保証は無い。

座れないとなるとキーボードは使えないので、結局スマホが編集ツールになる。重い荷物を抱えた状態で。これは苦痛でしかなかったし、だからこそ「軽いは正義」という何度も聞いた言葉を身に染みて感じた。

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