間に人を挟むこととは

仕事

仕事をしていて、間に人を挟むことというのはメリットにもデメリットにもなるというのを感じる。今の私は営業と外注の間に挟まれることが多く、過去に勤めた2社ではそういう立場ではなかった。むしろ最後に受ける端っこに過ぎなかった。自ら挟まれに行ったところがあるとはいえ、1年やってみて感じる事というのは想像していた以上に色々ある。仕事をするのは1人では完結できない以上完全に避けて通ることは不可能と思った方がいい事なので、この1年を振り返りながら書いてみたい。就活生や転職者に限らず、仕事をしている人、これから仕事を始める人にとって何かしら参考になれば嬉しい。伝言ゲームはメリットにもデメリットにもなる。

メリット

ミス防止に繋がる

見るものは同じでも、見る人が変われば視点もまた変わる。ミスや見落としを防ぐための手段として、完璧まではいかないにしても有効であることは間違いないだろう。仕事をしていればそういう経験は必ずするはずだし、学生だって他の人に見てもらう機会というのはあるはず。もちろん理想としては自分1人で完結できることなのだが、経験が浅いとなかなかそうもいかない。ベテランだろうとミスをする時はしてしまう。だからこそ、情報を共有しておくことは必要。それが連携にも繋がる。

それでも、ミスを防ぐための努力をしている場合はミスを責める人は減る、というのが私の経験。ミスしたことを結果だけ見て責めるような人、努力してますアピールで誤魔化す人というのが一部いるが、そのどちらでもない人はもっと多いように感じる。なので保険が働く一面がある。

人間ミスはしてしまうものなので、完全に間違いを無くすことはできないものと思っておいた方がいい。防ぐ努力をしなくていい理由は無い。ミスをしないこと、ミスをしない努力をすることが目的ではないので力の入れ加減に注意が必要、という点にも触れておく。

人に仕事を振れる

仕事は自分1人で完結というわけにはいかない。誰かに何かを頼む過程は生じる。仕事の直接的内容もだし、仕事をするための情報収集も誰かが発信する情報に対し受け身なところはあるので、これも自分1人で完結とは言い切れない。

人に仕事を振るといっても、丸投げするという意味ではない。何をどうして欲しいか、方向性は示さないといけないし、作業を引き受けてくれる人の負担を少しでも減らすために、やる事の提示が具体的であれば具体的であるほどいい。事前の段階での限界はあるが、それを作業者の代わりにやるのだ。つまり、何のためにやるのか、という目的や方向性を振る自分が分かっていないといけない。作業者からの質問というのは発生する。それに的確に回答できるのなら、仕事を丸投げではなく振ることができていると言える。丸投げ部分をゼロにできるとは限らないが、そこに近づく努力をしない理由は無い。

人に仕事を振るというのは、1年やっただけの私でも前提条件がこれだけ出てくる。頭では分かったつもりでも見落とす時は見落とす。だが、ここの精度を高くすることで仕事はスムーズに進みやすくなる。仕事を振る相手の技量であったりそもそもの文章読解力であったりという問題が発生する可能性はあるのだが、それはその人の問題であって仕事を振る側の問題とはいえない。会社だと、上司が部下に仕事を振りつつ教育をする、といった流れのはずだ。外注する時も、頼む側が理解していることが前提。

ここまで長々書いた前提条件を満たしていれば、仕事を振る相手を選べるようにもなる。自ら間に挟まれる仕事を選んでみたからこそ、仕事を振るというのがどのようなものなのか、ある程度見えた気がする。外注先にお金を支払うので売上の割に利益が減ってしまうが、時間のかかる作業を自分ではやらないことで時間が増え、その時間で他の仕事をすることができる。仕事の機会が仕事の機会を生む、という流れが生まれるのだ。

デメリット

伝言ゲームが起きる

デメリットになる事を細かく言い出したらただの愚痴になるが、元を辿れば伝言ゲームが原因になっている。伝言ゲームという原因が起きる原因は、やはり発注の大元から最終的な受注までの間に人を何度も挟んでいることだ。

視点が変わることでミスや見落としを防ぎやすくなるが、同時に解釈がずれてしまうリスクもある。ちょっとした解釈のズレが積み重なって、最終的に出来たものが発注者の意図と違うものになってしまったことというのは私自身何度も経験した。そもそも最初に発注する側が意図や目的を明確にしてくれればそういった事態は防ぎやすいし、受注する側も意図や目的を汲み取ったり、それが難しいならアンテナを張って発注者に質問する切り替えも必要。ただ質問も質問で、最後の受注者と最初の発注者の間に人を挟むので伝言ゲームの要素が発生してしまう。ミスを防ぐ目的もある手段のはずがかえってミスを誘発しては本末転倒。

そう考えると、実際に作業をする人への依頼をする段階では時間をかけていいのかもしれない。

時間がかかる

伝言ゲームに伴う弊害。人から人に伝える、という過程自体は生じるが、その回数が増え過ぎると依頼が発生してから作業開始まで時間がかかり過ぎてしまうことがある。進捗1つ確認するにも人伝て。情報共有に繋がる一面があるとはいってもそれが目的ではない。情報共有はミスを防いだり成果をあげたりするための手段の1つに過ぎない。それをしなくてもうまくいくならわざわざそんな手間をいちいちしなくてもいいのだ。うまくできるなら、ね。

余計な時間がかかるということはそれだけ時間の損失というものが発生しているということでもある。お金にばかり捉われて時間の損失という概念を見落としている人は結構多い気がする。時給で働いていると実感が沸きにくいが、稼ぐ機会損失ということでもある。人に仕事を振ることで稼ぐ機会を増やせる可能性は発生するが、バランスを欠くと寧ろ損失が発生してしまう。最適バランスというのは本当に難しい。

本当は自分の作業スピードでもできるレベルの事でも、不自由だらけの下っ端会社員ではそういう自己判断を簡単にはできない。フリーで働いている人なら、自分でやるか人に頼むか、自分で判断できる幅が広がるのだろうか?

最適バランス

間に人を挟むことについて、最適バランスがどこにあるのか、私には分からない。会社員、それも私のような下っ端は客と直接やり取りはせず上司や営業を介する。というかそれしかさせてもらえないので、他のバランスだとどうなのかを知ることができない。リスクを冒したくても冒せない。

内容を共有することでミスを防ぎやすくなるし、不用意に直接やり取りしないことで「そんな話聞いてない」を防ぎやすくもなる。できない事をできないと検知する機会は必要。

間に人を挟むことというのはメリットにもデメリットにもなる。自分で調整できなさ過ぎると私が感じているのは、私が会社員をしていて隣の芝生が青いのか、本当はもっと幅が広いのに本当に幅を狭くされてしまっているのか。必要な事でもそれありき過ぎてもいけない。デメリットに感じるからといって必要以上に削ってもいけない。自分でそういうところまで調整しながら仕事ができるようになりたいものだ。

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