私はブログを書いたり調べものをしたりする時に作業用BGMを流すことがあるが、これは選択次第でメリットにもデメリットにもなる。私が感じた選び方の基準と注意点を述べていく。
そもそも必要?
選び方以前にその必要性について疑問に思う人もいると思うので私見を述べる。絶対に必要、とまでは言わないが、依存しない程度にあっていいと思っている。
作業用BGMを流すということはそのために手間をかけている面もある。何を流すかを探したり決めたりすることに対し「脳のリソースを割く」と言われるような行為をする。人間が1日に決断できる事の数は限界があるとされている(専門家でないので具体的な数の言及は避ける)ため、こういうところで無駄な事をしない意識を持つ積み重ねが徐々に差として現れるのだろう。
なので流さなくても問題無いならそれに越した事は無い。そういう訳にもいかない状況下ではアリ。ただし、作業用BGMありきでは試験本番など音楽を聴けない状況に違和感を覚え目の前の事への集中力低下の恐れがあるため、やはり音楽を聴かずに集中することに体を慣らすことは必須。特に受験生。
選び方
メロディーライン
これは主張が強過ぎないことが大事。音楽にばかり気を取られていては本末転倒。本当は無音で集中できるのが良いのだろうが、気分を高めることも必要。そのバランスを取るには、聴く音楽のメロディーラインが強くないことが必要だ。強いかどうかの基準は人によるので定義はしない。YouTubeに作業用BGMは沢山あるので、色々聴いてみて自分に合うと思えるものが見つかればラッキー、くらいに思って色々聴いてみるのがオススメ。合わないものが合わないと分かれば、合わない事をしていた時間は無駄ではなくなる。
器楽曲
器楽曲とは、歌詞の無い音楽の事だ。歌詞のある音楽は声楽曲という。
私は別に声楽曲が嫌いなんてことは決して無いのだが、何だかんだで器楽曲の方が感覚的に好きだ。
歌詞が無いことで、音楽に気を取られることを防ぎやすくなる。メロディーライン同様、本末転倒な事態は防ぎたい。
注意点
あくまで器楽曲
本当に集中力を向ける対象は目の前の仕事や勉強であって、音楽を聴くことではない。目の前の事をするのに関係無い事が頭の中を駆け巡るのを中和することに作業用BGMの効果がある。
聴く曲を固定しない
これは注意しないと見落としてしまいそうだ。
何故固定しない方が良いかというと、初めて聴く曲でも何度も聴くうちにメロディーラインを脳が覚え、次はどうなるか、脳が自然と追いかけてしまう。そもそも初めての曲でも脳はある程度次のメロディーを予測したがるため、知っている曲だとなぞるように追いかけてしまう。脳のこの性質については『音楽心理学入門』という書籍を読んで知った。
好きな楽曲は使わない
先程の内容と重複するようだが、これも注意。好きな楽曲は、それこそ脳がメロディーを追いかけてしまい、本当に集中しないといけない目の前の事に対する集中力が奪われてしまう。机の前に座っているだけの状態を、やっている、とは言えない。
私自身の経験で言うと、好きなゲームBGMを流してみた時、集中できた時は結構できたと思うが、基本的に結局音楽に気を取られてしまいやすかった。私が好きになるゲーム音楽は、戦闘場面や名場面を思い出すものばかりだ。それを知らずに聴くならまだ良いのかもしれないが、幸か不幸か自分でそうではなくしている。
スポーツ中継
これもあまり勧められない。
例えばプロ野球の練習試合やオープン戦のように、結果は二の次だと最初から分かっているならまだしも、シーズン本番の試合を観ながらだと、やはり集中力を奪われやすい。ながら作業には向かない。どちらに対しても集中力が中途半端になりやすい。
競技によっては目を話せる時間の回数が少なく、もっと向かないと思う。
かく言う私も、これはついやりたくなってしまう。何を書くか事前にある程度決まっていて、大まかに内容をまとめたメモまであればまだ影響は小さく済むかもしれない。という正当化。ブログはいつ何を書くか、自分で事前に決められるし最悪流れ作業同然になっても、集中して書いたのと同じ物が出来上がれば見る側に与える影響は無い。それができるようになるのが難しいのだろうが。
依存しないのが一番
当記事冒頭でも触れた通り、作業用BGMはあってもいいが依存しなくても問題無いのが一番望ましい。その存在は、誤解を恐れず言えばあくまで手段であり目的ではない。そこが逆転しては本末転倒。また、耳が寂しいと思うのは人それぞれなので周りの人を巻き込むのは迷惑行為に過ぎない。人前で耳の寂しさを埋めたいならせめてイヤホンを使おう。ただそれはそれで周囲の声や音を聞き逃す原因になるので、やはり頼らないのが望ましい。周囲がうるさいなら、作業用BGMがどうこう以前にそもそもその環境に身を置かずに済むよう自分が動かないといけない。
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