ブログを半年放置してしまった結果

仕事

会社での仕事に気力を奪われ過ぎたのか、自分で稼げる足掛かりとして始めたはずの当ブログを半年も放置してしまった。

メッセージ欄は開放したままで、更新していた時には無かった勢いでメッセージが送られてくる。励ましとかではなく、日本語以外のよく分からない内容ばかり。外国語で唯一理解が届く英語でのメッセージは、胡散臭い話ばかり来た。ただこれはこれで、ブログを再開しなさいという天からのお告げのように感じるところはある。

スマホのみで執筆・投稿する場合を知るためのテストを兼ねて半年ぶりに更新してみることにした。

1年前はほぼ毎日更新

今の会社に入る前、こんな私でも当ブログをほぼ毎日更新していた。質は後から伴う、のマインドでやっていた。それまではメッセージを送られることも無かったので、どうせ殆ど見られていない、とある意味捨て身感覚だった。何より、就職後に就業規則を無視して副業をする時間があるものと思っていた。蓋を開けてみたら、入社3ヶ月後くらいから1〜2時間の残業が日常になってしまった。

前の会社では残業が少なかったので、その感覚でいてしまった。どちらがより正常でどちらがより異常なのか。どうせやることになるなら今のうちに習慣を着けておこうと思っていた。実際当時は投稿する文章を書かない日はどうしても違和感があったし、ネタ探しアンテナが立つ感覚があった。原稿を書くことが精神安定剤のようにすら思えた。

今振り返ると、当時は自身2度目の離職中とあり、原稿を書きたい時に書きやすかった。ところが、言われた時間に身柄を拘束される会社員だとそうはいかない。書きたい時に原稿を書けない、ネタを考えたい時に考えられない。それが積み重なり、会社脱出装置としてブログを書く意欲が薄れてしまった。続けるのが難しいとは聞いたがその真意は、続けるための前提で躓かされやすい、ということなのかも。

外国語のメッセージが書き込まれる。

WordPressの設定で、ブログにメッセージが書き込まれたら通知メールが届くようにしている。誰かが反応してくれるのが分かると成果を感じられて嬉しいのではないだろうか、と思いそう設定した。

何の皮肉なのか、私が当ブログを更新する気力がまるで失せてしまって以降になってから、メッセージが書き込まれるようになった。それ自体はブログの存在を忘れない合図のような一面があるのでいいのだが、問題は内容。

この記事を書いている途中に来たメールの一例

まず読めないし、私は日本語でしか記事を書いていない。英語なら少し分かるのでまだしも、言語すら私には分からない。Google翻訳してみたらロシア語で、ストレッチフィルムがどうのこうのと書かれているらしい。私自身は当ブログにてその話をしたことなど一度も無いのだが…

会社のグループや業界に呑まれそう

グループの面子があるのだろうか。納期に余裕が無いことが多い。私自身は図面屋の会社にいる身で、案件は親会社から受注する。内容を整理して更に外注し、そこから納品されたものを精査して親会社に渡す。そこで予定を管理したり不備が無いか確認したりするのだが、これが予定が詰まりやすい。案件は数日単位のものが日々舞い込んで来るので、休みたくてもなかなか休めない。

酷い客は要求を小出しで二転三転しておいてただでさえ急ぎの納期を延ばさなかったりする。伝える努力も理解する努力もしないでまるで相手が全て悪いかのような一方的な言い方をする奴もいる。そういう輩ほど質問のレベルが低かったりする。自分を棚上げし過ぎ。でもお金を請求する基準は他の客と同じ。そんな明らかに割に合わないブラック客なんて損切りして欲しいのだが、事業主ではないただの雇われの下っ端に過ぎない私にそんな権限は無い。それを実感させられている。

じゃあ会社を辞めてフリーになればいいのかというと、それはそれで別のリスクが発生する。会社員を続けることのリスクもある。それぞれの内容はそれだけで記事1つ書けそうなので詳細まではここでは言及しないが、雇われるにしてもフリーで働くにしても、どちらも一長一短。

2022年の仕事納めの後、私は久しぶりに渋谷を訪れ上の写真を何気なく撮影したのだが、その時でも働く人は働いている。そう考えるとなんだか複雑だが、楽しまないのはそれはそれでその人達に悪い気もする。

学校で教わる、「働く」とは

振り返ってみると、働くことというより、雇われることを学校でずっと教わっていた気がする。フリーで働くよりは収入が安定しやすいはずだし、社会的信用という観点でも、大卒以上の会社員というのはクレジットカード決済引き落とし滞納とか犯罪とかの前科でも無ければ、一定以上はあると言ってよさそうだ。フリーだとクレジットカード1枚の審査でも、前科者でなくともハードルが上がるらしい。体験していないので受け売り情報だが。

難関大学卒の大手企業勤めともなると、一層そうなるだろう。それはそれで良い事だと思う。が、注意しなければいけない事がある。会社からの給料しか収入源が無いとしたら、それは会社に生殺与奪を握られているということだ。会社が倒産しても失業保険はあるが金額も期間も限りがある。しかも、会社員としての給料に経費を反映させることはできないと思っていい。iDeCoやNISA、ふるさと納税で控除を増やすくらいしか、会社員としての節税手段は無い。

そう考えると、雇われることを前提とした話を幼い頃から植え付けることの最大のメリットとは、税金の取りこぼしを防げることではないだろうか?と考えるようになった。会社での仕事が心身共に負担が大きいと休日に副業しようにも気力を奪われる。日本人は「ルールだから」という思考停止を植え付けられてる人が多いので、会社が従業員の副業を禁止すれば、会社やグループの言う事を聞かざるを得なくさせるという効果が更に付帯される。

人の世は洗脳の螺旋

親会社からの洗脳の圧があまりにも酷いとずっと感じているが、よく考えたら学校が子供に対し将来雇われることばかり教えている段階で既に洗脳ではないだろうか。

雇われると、収入が安定しやすい反面爆発力に欠けるし、税金のコントロールがなかなか効かない。ふるさと納税や副業でもしない限り自分が確定申告するのではなく会社が年末調整するのだから、そりゃそうなる。これは経費だからその分課税所得は減る、という交渉をする席が会社員には無い。事業主にはある。

税金を自分でコントロールできない人が社会のほとんどを占めていれば、薄利多売のような方式で国が税金を確保できる。節税の手段や給付金制度は色々あるが自分から動いて交渉しないとまず適用されない。でも税金の取りこぼしは許さない。日本のような先進国ほど、そういう社会になっている。

こんな仕事もう辞めたい、洗脳の圧が酷い、相手を選べない、そんな事を日々感じ、私はそもそも雇われること自体が合っていないのではないかと考えるようになった。私には帰属意識や協調性が、日本人にしては欠けている。洗脳の螺旋から逃れるための努力が必要。それに、死ぬ前に怨念の10や20は晴らしておきたい。

雇われることへの拒否感こそが、自分で稼ぐことのモチベーションになる気がしてきた。

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